ジョージアとエストニアの共同製作映画『みかんの丘』(2013)を鑑賞した。
アブハジア紛争(アブハジアがジョージアから独立を求めた武力闘争)の状況下において、第三者的な立場であるエストニア人の集落が舞台となっている作品だ。
この映画では、国や民族関係なく人間としてあるべき姿が描かれる一方で、エストニア人であるイヴォが「なぜ紛争地に残っているのか?」が謎として提示されている。エストニア人は拘束されているわけでなく、帰ろうと思えば祖国に帰れるのに、だ。
なぜイヴォは紛争地に留まるのか、イヴォのセリフを参照しながら追っていく。まずはイヴォの友人のマルゴスに関して、少し書いておこう。
友人マルゴスが現地に残っているわけ
イヴォの友人であり、ミカン生産者のマルゴス。彼もアブハジア自治共和国のエストニア集落に残っている数少ないエストニア人の一人である。
冒頭でイヴォがマルゴスについて言うに、「ミカンが彼のすべてさ」とのこと。「わしが助っ人だ」ともイヴォは言う。ミカンの栽培はマルゴスが主としておこなっている。
マルゴスはミカンの木に対して愛着を持っている。「ミカンを腐らせるのは心が痛む」と述べていて、だからマルゴスは少なくともミカンを収穫するまでは(腐らせないために)祖国に帰れないでいる。
マルゴスはエストニアに帰るつもりではいる。マルゴス本人が「ミカンが売れたらエストニアに帰れる」のだと語っていた。
ミカンの収穫には多くの人手が要る。しかし紛争によってなかなか現地の人手を得られない。マルゴスは早く応援がこないものかと待ちわびていた。イヴォも早く人手を得られるよう、軍人である友人に40~50人至急手配してほしいと頼んだりもしていた。
イヴォがそんなふうに軍人に直訴するのも、マルゴスが祖国に帰れるよう助けるためでもあった。「マルゴスが祖国に帰れるように」であり、イヴォ自身は帰る気がないのは途中で明らかとなる。
イヴォは帰る気がない。なぜか?
イヴォにとって、ミカンの木が「祖国に帰らない最大の要因」となっているようには見えない。イヴォ本人も言っていたように、ミカン収穫においてはマルゴスの「助っ人」的な立場で、イヴォは普段はミカン用の木箱を作っている。
初めのうちは、友人のマルゴスが残っているから、イヴォも一緒に残っているものと推測していた。友が現地に留まるうちは離れられずにいるのかと思った。しかし、マルゴスがミカンの収穫を終えて帰ったとしても一緒には帰らない心積もりでいるのがのちにわかる。イヴォが現地に残ろうとするのはマルゴスのほかにもわけがあるようである。
イヴォは祖国に愛情がないのか? まったくそうは思えない。祖国には彼の家族がいる。イヴォの一人暮らしの自宅には家族の写真が多く飾られている。家族を想っているのが伝わる。特に孫娘のマリにつては「私のすべてだ」と言ってもいた。
「私のすべてだ」と語るくらいに愛している孫娘のところへ帰らないでいるのはなぜか。
そこまでして紛争地に残る大事な理由があるのか。しかしイヴォは語らない。いろんな人が質問するも、イヴォは濁したり沈黙したりして答えない。
「帰らないの?」「なぜ残ってる?」に対するイヴォの返答
主だった登場人物たちは皆、イヴォに問いかけている。「エストニアには帰らないのか」「なぜ残っているのか」。
イヴォは、計5回問われている。そのときのイヴォの返答が以下である。
①冒頭、チェチェン人の傭兵アハメドと連れが食料を得るために訪ねてきたとき。イヴォの家族は皆祖国に戻ったのを知って、アハメドはイヴォに質問した。
イヴォ:「帰りたくなかった」
②近々エストニアに帰るユハン医師と、二人で話していたとき。ユハンがイヴォに誘いかける。
イヴォ:「留まる理由はご存知のはず」
イヴォは暗に断った。この場面で、イヴォはエストニアに帰らずにここに残る意志を持っているのがはっきりとわかる。
③イヴォが負傷した兵士(=アハメド)を助けた後の場面。回復したアハメドはイヴォに聞く。冒頭につづき2度目の質問である。
イヴォ:「若い君には関係ない」
④同郷の友人が尋ねることもあった。イヴォとマルゴスが外で座って話していたとき。
エストニアに帰国する気持ちはないのか、イヴォに問うた。イヴォは10秒ほど沈黙し、結局何も反応せずにそのシーンは終わった。
マルゴスが「怒らず聞いてくれ」と前置きしている。かつて同じような話をしてイヴォが怒ったことがあるのを想像させる。
⑤ジョージア人の重症兵士・ニカも、会話ができるまでに回復したときにイヴォに問いかけた。
イヴォ:「大好きだし 大嫌いだ」
こう答えた。
いずれもイヴォは、帰国しない・現地に残ることについて、明確な理由は言っていない。
終盤にその想いが見えた
終盤、イヴォの自宅の前を通りがかった傲慢な兵士らによって銃撃戦が起きてしまう。この銃撃戦により、ある登場人物が亡くなる。その登場人物の遺体を、イヴォにとって大事な「ある人物」のそばに埋めた。その「ある人物」については終盤にして初めて作品内で触れられる。「ある人物」が亡くなっていることも観ている側は初めて知る。
(ネタバレ回避のために特定はしないが、「ある人物」とは恋人とかそういう「いきなり登場する」存在ではない。しかし、「ある人物」は、必ずいるとわかっていた存在でもなく……なんというか、そうだったのかとハッとさせらたものだ)
ああ、これだったのだと。イヴォが帰らない最大の想いはここにあったのだと、思った。
イヴォが直接語ったわけではない。ただ、観ている側としては、そこにずんとくるものがあった。
結局、帰国しない理由、現地に残る理由を、イヴォは語らなかった。ここまで書いてきて何ではあるが、イヴォが語る人物でなくてよかったと思った。語らないからこそイヴォであり、真のイヴォが描かれていたと、生意気ながらそう感じた。語らないからこそ、重く深い。語らないからこそ、イヴォをイヴォたらしめているのだ。
イヴォの肚にあるものがどれだけ重く深いものであるかがわかった。その肚があるから、爆発や銃撃戦が起こる紛争地にも留まれるのだと、そんなふうに私は思った。