1985年公開、黒澤明監督の映画『乱』4Kデジタル修復版を観てきました。
『乱』、はじめての観賞です。
私が今まで観たことがある黒澤監督作品は、『七人の侍』など三船敏郎さんメインに5本くらい。
本当にどの作品も素晴らしく感じました。
今までは黒澤監督の作品はDVDかオンライン配信で(つまりは自宅で)の鑑賞のみで、映画館で観たことがありませんでした。
このたび、近場の映画館で『乱』が上映されることになり、「映画館でクロサワ作品が観られる!」と心はずみ。いそいそと鑑賞にいってまいりました。
(おそらく、クロサワ作品であれば、どの作品でも自分は観にいってたことでしょう……)
『乱』のあらすじなどは事前に入れずに、とりあえず「仲代達矢さんが主演の時代劇」、ぐらいの前知識で観にいきました。
あらすじ:
戦国時代。情け容赦なく他の武将たちを滅ぼしてきた猛将・一文字秀虎(仲代達矢)は七十歳を迎え、家督を三人の息子に譲ろうとする。乱世にも関わらず息子たちを信じて老後の安楽を求める父に異を唱える三男の三郎(隆大介)を、秀虎は追放してしまう。だが一の城と二の城の城主となった太郎(寺尾聰)と次郎(根津甚八)は、三郎の案じた通り、秀虎に反逆し、血で血を洗う争いが始まる。その陰には、実の父と兄を秀虎に殺された太郎の正室・楓の方(原田美枝子)の策謀があった…。(引用元:映画『乱 4Kデジタル修復版』公式サイト)
「乱」の内容・観た感想など
リア王に通ずる悲劇
映画館でもらえる『乱』の公式チラシの裏に、『シェイクスピアの「リア王」の世界観とも通じた本作』と紹介文が書かれていました。
仲代達矢さん演じる一文字秀虎と、その三人の息子にまつわる悲劇のストーリーです。
従順だった長男・太郎と、次男・次郎は、秀虎が家督を譲ったとたんに秀虎を邪魔者扱いして排斥しようとします。
逆に不心得者と思っていた三男・三郎が、実は父親想いで信頼に足る人物だとわかってくるのですが、秀虎は三郎をすでに勘当してしまって頼ることができない。
信用していた者に裏切られ、信用すべき者を遠ざけてしまい、どんどん窮地に追い込められていく秀虎。
弱まる立場に相乗りしてくるかのように、かつて自身がどれだけ非道なことをしていたかを思い知らされたり、それによって一部の人間からうらみを買っていた事実を知ったり、ますます秀虎の心を挫かせるような状況になります。
そして秀虎は現実から逃げるようにして精神が崩壊していきます。
映画のなかで、ところどころヒグラシが鳴いてました。
夏の終わり感。
いっときは栄華を誇っていた秀虎だけに、その凋落の様子はヒグラシの鳴き声とむなしくマッチします。
秀虎のそばに仕える狂阿弥(ピーターさん)が、明るくおどけるので、完全に湿っぽくならないのが救いだったかな。

狂阿弥と秀虎
存在感のある俳優陣
ピーターさん演じる狂阿弥は、独特の存在感があるコミックリリーフ的なポジションでした。
※コミックリリーフ(コメディリリーフ)……映画・演劇で、重苦しい場面に喜劇的な場面を挿入し、緊張を和らげる手法。また、それを演ずる俳優。
(出典:goo辞書)
秀虎がおかしくなり始めてから、狂阿弥は秀虎を子供扱いしたり、主人に向けてるとは思えない言葉遣いになったり、でも秀虎に対して情はあるしユーモアがあっておもしろい。
ふだんはおちゃらけているキャラだからこそ、彼が涙を流したときには、悲劇感が強まりました。
そんな狂阿弥の主人・秀虎を演じた仲代達矢さん。天下の旗頭としての風格が匂い立ちます。
目力が半端なかったです。
秀虎は70歳の設定ですが、演じていた仲代さんの年齢は当時50代前半くらいでした。
実年齢より20歳ほど上の役を演じていたわけですが、70歳くらいのオーラや貫禄が出ていらっしゃった。
現在、仲代さん主演の映画『海辺のリア』が公開されています。
奇しくもこちらも「リア」。ですね。
秀虎に負けず劣らず、いや、もしかしたら作品中で最も迫力があったのが、原田美枝子さんでした。
原田美枝子さん演じる楓の方は、秀虎とその息子たちを混乱・破滅へ導く女性です。
しとやかでたおやかな振る舞いを見せるも、腹のうちでは復讐や成り上がりの念を業火のように激しく燃やしています。
目的を達成するためには冷酷な手段もいとわず、それでいて自らの手は汚さないという、まさに「強(こわ)い女」。
したたか、や、手ごわい、という意味での強(こわ)い女の人です。
あそこまで悪女全開だと、すがすがしささえ感じます。

楓の方
あと、存在感があったといえば、末の方の弟・鶴丸を演じた野村武司(=野村萬斎)さん。
長い髪で目が隠れているのもあって(鶴丸はかつて秀虎に傷を負わされて盲目。)ミステリアスで、ひょうっと俗離れした雰囲気が漂っていた。
鶴丸という名前にふさわしく、どこか鶴をも連想させるようなたたずまいでした。
野村萬斎さんは、映画『シン・ゴジラ』で、ゴジラのモーションアクターをつとめられています。
動き・所作のプロはさすが、そのたたずまいからして存在感があります。
黒澤監督の映画に出演している役者は、演技力が優れている!?
口幅ったい発言ではありますが、黒澤監督の作品に出てる俳優さんって、特に『七人の侍』を観てるときに強く思ったのですが、演技力が優れていると思います。
以前に、映画評論系のクリエイターの人が初めて『七人の侍』を鑑賞した際にも、「出てる俳優、みんな演技がうまかった」という感想が出ていました。
個人的には左卜全さんが味わいがあって好きです。
『七人の侍』の序盤のほうに出演されている多々良純さん(最初は侍探しにきた百姓たちをからかうも、だんだん侍探しに協力的になっていく人足)も味があるというか、ずいぶん魅力あるキャラを演じる役者さんだなと思ったものです。
『七人の侍』は時代劇なので、撮影当時の1950年代でも絶対使わなかったであろう古めかしい言葉遣いや語尾が出てくるのですが、まったく違和感なく自然に聞こえました。
皆が皆、違和感ないってすごい。
また映画のセットとか風景とかも、違和感がなく自然に見えました。
黒澤監督は「汚し」(年を経たように見せる工夫のこと)にこだわり、アングルを決めたら1日がかりでセットを汚したという逸話を東武ワールドスクウェアにいったときに聞きました。
こうやって徹底的にやったりこだわったりして名作がうまれてるんですね。
そのぶん製作費はふくれますが……。
『七人の侍』は当時の平均制作費の7倍かかったといわれていますし、「乱」は総製作費が約26億円です。
現代の邦画でも製作費は3億円くらいがザラです。(※邦画です。ハリウッドの大作映画なんかは数百億円くらいかけてます)
日本の映画作品においては破格の製作費になりましたが、黒澤監督の作品だからこそ、そこまでの出資が可能になったのでしょう。
黒澤監督が感じさせる「凄さ」をいつか説明できればと思った
黒澤監督の作品では、「汚し」の技術以外にも、それはそれはいろいろな技術が集約されているのでしょう。
『乱』を観ていて、ひとつ私がカメラワーク的なことで「これは!」と思ったシーンがありました。
馬に乗って走ってきた俳優さんが、あらかじめ固定していたカメラの前でピタッと馬をとめたのです。
ちょうどの位置だったので「おお~」と心の中で拍手を送りました。
動物相手のことなので何度か撮り直しもあったかもしれません。
この馬のシーン以外でも、何気なく観ているシーンでも、工夫や労力をかけて作品をつくりだしていることでしょう。
私が黒澤監督の作品を鑑賞していて、おこがましくも感覚として感じることは、「センスがいい」「観やすい」「魅せる」「凄い」といったことです。
本当になんかこう、スッと引き込まれます。
私は映画の技術に関してほとんど無知ですし、まだまだ“映画シロート”なもので、今はまだ感覚としてとらえている黒澤明監督の「凄さ」を論理的に説明はできません。
いずれ知識・見識がついて映画の技術について分析できるようになったら、黒澤監督のどういう点が今の私にさえ「凄い」と思わせているのか、言語化できればなと思います。
総評
上映時間およそ2時間40分と長めでしたが、最後までたのしむことができました。
『乱』は、「人間の果てなき愚かさ、家族を巡る愛憎」(公式チラシより抜粋)を描いている作品です。
黒澤監督ご自身が本作を「人類への遺言」と語っていたと、公式チラシに書かれていました。
人類への遺言。何をメッセージとして受け取るかは観てる人次第なので、とりあえず観てみなければ始まらない。
今回、『乱』を劇場で観ることができたのはいい機会でした。
私は、やっぱり黒澤明監督の映画が好きだなあと思いました。
エンドクレジットで、スクリーンに
の文字がバンッと出たときには、「映画館でクロサワ作品が観れたんだなあ」と胸が熱くなりました。