日本画家・安田靫彦を知った

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執行草舟氏の本で、安田靫彦を知りました。

安田靫彦(やすだ ゆきひこ、1884-1978)、日本画家。

その作品の素晴らしさに魅了されてしまい、画集を購入した。

 

安田靫彦

↑『安田靫彦』新潮日本美術文庫(1998)

 

執行草舟氏の著書『憂国の芸術』にて紹介されていた安田靫彦作品は、背景のない・少ない人物画が多かった。

 

初めは正直にいえば、「楠公」などを目にし、「うまい」とは思わなかった。下手だという意味ではない。下手だなんてまったく思うわけがなかったが、ただ、うまいとも思わなかったのが率直なところだった。

 

素人の私が「うまい」と感じるのは、技巧がこらされていたり、わかりやすく「自分には描けない」と思わされるようなものが見えたときだろう、そういう意味では安田靫彦の画は簡素だった。飾り気がないというのか。初見はえらくシンプルだという印象だった。

 

(ちなみに、後で買った画集『安田靫彦』の一枚目の画は「遣唐使」であり、この「遣唐使」の画は見た瞬間に「うまい」と感じました。安田靫彦、16歳のときの作品。安田靫彦は16歳のときにすでに、素人の私にも即座にうまいと感じさせる技術を有していたのです)

 

そんな飾り気のない安田靫彦の人物画。何度か見るうちに、魅了されていった。

まず私が自覚した魅了ポイントは、「色」と「人物の表情」だった。

 

複数の人物画の中に、淡い桃色と淡いだいだい色の中間のような色が差されており、その色が端的にいえば私の好みだった。

「八橋」の、目の冴えるような青色も気に入った。

一方で、墨だけで描かれた「鞍馬山」の絵も、ほうと溜息が出る情緒を感じ、すぐに気に入りもした。

 

そして人物の表情がいい。

目の細い人物の絵は特にいい。仏像などのような日本らしさが漂い、おかしがたい神聖さを感じるのである。

人物画の黒目が小さな点になっていくほどに、味わいが出る。

絵が簡素になるほどに、誰も作れないような表情がそこに浮かんでいる。

気づけば安田靫彦の画をじっと眺めるようになり、眺める回数も増えていた。

 

この安田靫彦の画から感じる機微は何か。

執行草舟氏が著書の中でいみじくも言語化されている。日本の文化の真髄は何かという問いに対しての答えだった。それは、「みやび」と「もののあはれ」であると。

その言葉に感服して、その記述のところにふせんを貼った。

 

安田靫彦の画からは「みやび」と「もののあはれ」を感じる。そして私はその機微が好きである。日本人の機微だ。

 

安田靫彦の作品の中では、目の細い人物画や幽寂とした風景画にまず興味を持ったが、今は「梅花定窯瓶」や「紅白椿」などの鮮やかな花の画などもハッと引きつけられて見るようにもなった。

なんせまだ安田靫彦を知ってから日が浅い。

何なら、これから安田靫彦を知るのであります。

 

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