映画『お茶漬の味』を観て当時の語り口などを味わった

お茶漬け

 

小津安二郎監督の『お茶漬の味』(1952年)を観ました。

小津安二郎監督作品は、『東京物語』『秋刀魚の味』につづいて3作目の鑑賞となりました。

 

『お茶漬の味』は、1952年(昭和27年)の映画です。

70年近くも前の日常を描いているけれど、意外とそこまでカルチャーショックに感じるようなものはなかったです。

もちろん細かいことを取り上げれば諸々ありますが、でもさほど文化的に大きな違いは感じませんでした。

エビゾウという名前が出てきたり、宝塚の「すみれの花咲く頃」の歌が出てきたり、自分にもわかるネタがありました。

歌舞伎や宝塚が長いあいだ人々に親しまれている証ですね。

 

映画の中で描かれていた、相手を理解できない・理解する気もない・向き合わない夫婦関係においては、70年前でも現代でもどちらでも通じる話だなと。

小津安二郎監督作品では、別に特別でもない、ふつうにありそうな夫婦や家族の物語を描き出しています。

家族の問題や人間関係の悩みは、いつの世でもだいたい同じということですね。

 

それからこの年代の映画を観ていて疑問に思うのは、
役者さんたちのセリフの言い方が多少「演技用」として偏りが入っているのか? それとも割と普段からああいう喋り方だったのか?
というところです。

たとえばあの年代の映画の中の女性たちは、丁寧にも上品にも聞こえるし、お澄まししている印象もあります(決して悪い印象ではないのですが)。
語尾はあまり伸ばさずに、どちらかと言えばキレよく、でも語尾が多少上がるから柔らかさみたいなのはあります。

芸人のゆりやんレトリィバァさんが、昭和の日本映画に出てくる女優のマネをするネタがあるんですが、うまく特徴をつかまれているなと思いました。特に『お茶漬の味』で妻・妙子を演じていた木暮実千代さんは、まさにそういった喋り方をされていた。木暮実千代さんを参考にネタが作られたのでは、とも思えるくらいです。

現代だったら、ちょっとお澄まししているなとか、それこそ昭和っぽい喋り方だな、とか思えるくらいに現代とは違いのある喋り方。当時の都会の女性は皆ああいうふうに品があってお澄まししているような喋り方だったのでしょうか。それとも「映画用」みたいな、当時の女優独特の喋り方だったのでしょうか。

 

あと言葉の言い回しでいえば、妙子の親戚のせっちゃんが知人にコーヒーをすすめられて「たくさん」と断るところに懐かしさを覚えました。

「たくさん」って言う断り方もあるなと思い出させてくれました。

上の世代の人たちが「たくさん」って言っているところを見聞きした覚えはありますが、自分の世代ではそういうふうに遠慮する人は見かけません。

「大丈夫です」とか「結構です」とか「お腹いっぱいなんで」みたいに断ります。

なにげない言い回しですが関心を引かれました。

 

言葉は時代とともに移り変わっていくものであってそれは止められませんが、映画『お茶漬の味』を観て、当時の語り口などを味わいました。

 

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