映画『この世界の片隅に』を観てきました。
ストーリー
1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。
(引用元:シネマトゥデイ)
すごくよかったです。
映画館で泣きながら観てました。
声を出して泣かないようこらえたほどです。
映画を観たあとはむだな感情が抜けて悟り開いたような気分になりました。デトックスだろうか。
この映画、絵柄がのほほんとしていて、主人公すずの性格はのんびりマイペース。
戦争中だけれどもごくふつうの日常をクスッとくる笑いをまじえながらほんわかと描いてるのかと思いきや……です。
衝撃を受けました。
登場人物たちの心の揺れや立ち振る舞いがリアル。
なんかこう、登場人物が動かされてるんじゃなくて動いてるというか、とにかくいろいろとリアルです。
変にきれいに描かれてるわけじゃない。
けれど変に悲観的に描かれてるわけでもない。
大仰に描写せずともこちらの心を大きく揺さぶる。
それは空襲や原爆という要素があるからではあるのですが、それにしても登場人物がペラッとしていれば単なる創作物を見てる気持ちになるだけであり、この映画はキャラクターの絵は簡素的な感じですが(※すみません)ペラッとしていません。
人間の機微を注意深く誠実に描いています。
ハッとするような展開・ストーリー構成に心を持っていかれました。
ほっこりする場面や心温まる場面もたくさんあります。
おもしろい場面もあります。
絶望や哀しみもあります。
心にズンときます。
いろいろな感情をあたえてくれます。
生きてりゃいろいろある、っていわれてる気がしますね。
映画館であれだけ涙が出たのは珍しかった。
嗚咽寸前でした。
2017年一発目の映画鑑賞、よかったです。
ほんとうに観てよかった。
わたしは映画館で同じ作品をリピート鑑賞することはほとんどないんですが、この作品なら2回観るのもあり得ると思ってしまうほど、よい作品に感じました。
当時の貴重な記録としてもぜひ後世に残したい作品です。
余談ですが、映画館を出ようとしたとき、ロビーに見たことのあるお顔が。
市長でした。市長はなんの映画を観たんだろう。
追記:『この世界の片隅に』2回目を観ました
上記の記事からおよそ一年後(2018年1月)に、『この世界の片隅に』を再び観ました。
Amazonビデオで観ました。
二度目の鑑賞でもググッと引き込まれ、やはりとてもとてもいい映画だと再確認しました。
途中からティッシュを手離せなくなるほど泣きました。
そしてフフッと笑える場面もあります。
ずっと目が離せずに最後の最後まで鑑賞し、作品に入り込んでいました。
『この世界の片隅に』の中には、現代人でも共感できる機微がたくさん描かれています。
そして、日常と非日常の入りまじりの絶妙さがあります。
空にカラフルな着色弾の煙が広がるシーンで「ここに絵の具があったらな」とすずさんが思ってしまうのとか、すごくわかります。
空襲警報がつづいている中で楽観的になったりちょっとおちゃらかしたりするのもすごくわかります。
戦争が日常になれば、四六時中戦々恐々としているわけにもいかないですし。
戦争を過度に残忍に描いたりしてません。
かといって凄惨さを隠したりキレイに繕ったりせずにありのままを描いています。
そこがすごくよかったです。
片渕須直監督は、ファンタジーな要素がありながらも人間模様などをリアルに描き出す監督という印象です。
同じく片渕監督作品の『マイマイ新子と千年の魔法』を観て特にそう思いました。
子供にも見やすいジブリ的な絵柄で、人間のダメな面や生々しい面も描いたりします。
ファンタジーな世界観を持つ監督さんって、同時にとても現実主義者で「リアル」なものが見えやすかったりするのかなと思います。
リアルあってのファンタジーですし。
宮崎駿監督も、そうですね。
ファンタジーとリアルの融合はもう、第一人者。
そして、自然現象などもファンタジー化してしまう(できてしまう)。
田舎の田んぼを強い風がザーッと通り過ぎるのは実はネコバスが走ってるからという発想、今考えても目のつけどころに唸ってしまうような心地です。
同じく『となりのトトロ』に出てきたまっくろくろすけ、あれの正体が、明るい場所から暗い場所に行ったときに見えることがある視界トリックの暗喩と気づいたときには(※あくまで個人的な見解)、興奮しました。
実際には見間違いかもしれないし何かの現象かもしれないものを、妖怪だったりファンタジーだったりに置き換えるのは、昔から日本人の得意とするところなのでしょうか。
すずさんも小さい頃に夢か現実かわからない不思議な出来事に遭遇します。
小さい頃って、そういった不思議に感じる出来事に遭遇しやすいものかと思います。
『この世界の片隅に』に関しては、ファンタジーな雰囲気はありつつも、とことん現実を描いているのがのちにわかってきます。
とことん誠実に「現実」を描いていると思います。
『この世界の片隅に』から受け取ったメッセージ。それは。
失われたものは元には戻らないけど、それでも前に進んでいく。
ということでしょうか。
ここで一つ補足すると、私は、失われたものが元通りになる「物語」もありだと思っています。
ただし、元に戻るにあたって代償となるもの(そして登場人物の成長)があれば、ではありますが。
『この世界の片隅に』には、多くの国民が犠牲になったところで勝利を得られなかった現実、壊れてしまった街・建物・亡くなった人はもう戻らず、そしてすずさんの体の一部(大好きだった絵を描くこと)も決して元通りにはならないけれど、それでも進んでいくという、厳しくもそれが正真正銘の現実であるんだという現実が描かれています。
現実に対してとことん誠実に描かれているから、ぼうっと呆けてしまうような虚脱感もあり、どこか救いを感じる優しさのようなものあるのだと思います。
また、優しさは、ほんわかした絵柄やすずさんのキャラクターによってさらに増していますね。
すずさんはたいていほんわかしています。
でもときに激しい感情を持ちます。すずさん自身が自己嫌悪に陥るような考え方をするときもありました。
それが人間だしそれが日常ですね。
あんなご時世だったので、感情の揺れが大きくなっても無理からぬこと。
すずさんは鈍感なように見えても頭に禿ができたこともあったし、表に感情的に出さないだけで、ふつうにいろいろ感じたり悩んだりしていました。
のほほんとして人当たりがいいから、まわりから強く当たられることもあります。
当たらないであげて……。とは思う。
すずさんの魅力があふれているのはもちろん、妹さんやリンさんも素敵です。憧れのお姉さん系で。
妹さんとすずさんが一緒にお風呂に入ったとき、妹さんがきれいな体を洗っている(左腕上げてる)シーンは、のちの展開を知っていると「ああ……」と胸が沈みます。
リンさんは登場時間が短い割にけっこう重要キャラのような扱いをされていると初見では思っていましたが、原作では周作が結婚を考えていた女性だったということを知り、あと「物の怪らしきあの子」との関連性に気づいたときに、リンさんは特別な存在なんだと納得しました。
お義姉さんのケイコさんもキャラとして、いいんだよなあ。
ラストでは、お義姉さんにも希望の光が見える終わり方をしていたのがよかったです。
ということで、『この世界の片隅に』、二度目の鑑賞も楽しませてもらいました。
数日前に観たばかりだけど、早くもまた観たくなっております。