映画『デタッチメント 優しい無関心』を観た―無関心と読書と

『デタッチメント 優しい無関心』

 

映画『デタッチメント 優しい無関心』(2011年、原題『Detachment』)を鑑賞。

主人公ヘンリーを演じるエイドリアン・ブロディ目当てで観た映画だ。

 

この作品、救いがないようにも取れる終わり方をしている。

ただし、生徒たちに具体的な救済措置を一つ提示していた。それは、本を読みなさい、ということだった。

ヘンリー(先生)は、授業中に次にように語っていた。

常にイメージが与えられてたら――
想像力は働かない

(中略)

1日24時間死ぬまでずっと――
権力者は我々を沈黙させようと手を尽くす
つまり自分たちを守り――
思考プロセスを鈍化されないためには――
本を読み想像力を磨かなければ

 

ヘンリーはまた、「読書は、自分の信念体系や考えを失わないためのもので、自分を守るための技術である」と、そんなふうにも生徒たちに語っていた。

「本を読もう」というのが、この映画で特に伝えたかったことの一つであろうと感じる。

 

 

ところである本を読んでいたら、この映画のタイトルの一部である「無関心」についていみじくも書かれていた。その項目がずばり「無関心という比類なき怪物」。

その項目を読むと、映画『デタッチメント 優しい無関心』の中にあった「崩壊」の根源は、「無関心」にあったのではないかと思えてくる。

 

以下、本からの引用。(参照:執行草舟氏 著『根源へ』)

(前略)絶対的な「生命の敵」について語りたいと思います。つまり、人生における最大最高の「残酷」です。それは、「無関心」ということに尽きるのです。「生きるとは何か」に無関心であることが、生命の最大の敵なのです。

原水爆を例に挙げて。

この世でもっとも残酷な悪人でも、原水爆を落とすことはできません。できるのは生命に対して無関心な善人だけです。いかなる人間も、生命に対する関心だけは持ち続けなければなりません。人間は、善人でも悪人でも、何でもかまわないのです。人生など、不幸でも何でもいいのです。生命の弁証法を抱きしめることだけが、人生を生きるということに繋がるのです。

そして、さらに。

不幸を嫌い、別れを嫌い、貧しさを嫌い、とにかく「楽」しか欲しくないというのが現代人です。これでは生命の弁証法が成り立ちません。そうなると、人は自分自身も含めて人間の生命や生きることに対して徐々に無関心になっていきます。生きることよりも、「楽」をすることの方が大切になってしまうのです。

 

と、「無関心」とその問題について書かれている。

 

他人に無関心である以前に、生命について無関心であり、人間としてどう生きるか、どう死ぬかに無関心。

なるほど。だから、いち生命として物事を判断する軸がわからなくなり、メディアからの情報や周りの状況に流されるようになってしまうのではないのか、それが楽でもあるから……と、こんな構図が見える。これに大人も子供も関係ない。

 

ヘンリーが映画の中で言っていたおさらいとなる。
「思考プロセスを鈍化されないためには 本を読み想像力を磨かなければ」

読書が必要なのだ。

 

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