【座右の銘】「不合理ゆえに我れ信ず」という言葉

「不合理ゆえに我れ信ず」

 

「不合理ゆえに我れ信ず」

古代のキリスト教神学者・テルトゥリアヌスの言葉です。

 

高い次元にあるものや偉大で崇高なものほど、不合理に感じたり矛盾が存在して見えたりします

この世の究極といえる「宇宙」を構成するものがもう、人間から見れば矛盾だらけです。

それと同様に、本当に偉大な人物は矛盾だらけに見えたりします。

ただし偉大なものは不合理や矛盾があってなおそれを凌駕する沈黙の力が存在します。そして結局は不合理だけど信ずるというか「不合理ゆえに信ずる」に収束するのです。

 

偉大な人物の言葉は凄みがあり、存在に迫力があります。

そんな超克の滾りのような怒涛の力でもって矛盾を貫いては“見る者聞く者”の脳髄を突き、そして見る者聞く者に「畏怖」を抱かせます。

畏怖が存在することが、信ずるに値する不合理だといえます。

そして動物ならば「畏怖」=「怖いもの」をただ嫌って逃げればいいとなるけれども、人間はそこに敬いの念を抱き、いじらしくも自らそれを追い求めては自己の卑小さを知ったりボロボロになったりする、悲しい生き物でもあります。

 

「不合理ゆえに我れ信ず」という言葉は、人間として・肉体を持って・この世に生きる・その悲しみを知ったそのうえで・崇高なものを仰いで到達しようとする人間の、いわば悲哀と崇高とが込もったような言葉であり、根源にある宇宙的なものに粛々と通じる言葉であります。

 

 

特に現代では合理主義に突っ走ってしまうのは容易なことです。

私たち現代人はつらいことや苦しいことをとにかく排斥しようとする世の中に生きています。

「時代の寵児」などは合理主義を標榜する人もいて、合理的こそが最適解のような風潮になっています。

ただ、合理偏重だと、人間や人生観などについて考えていくうちに、いずれ行き詰まりを感じると思います。

 

「不合理ゆえに我れ信ず」この言葉は、合理的こそが最適解のようになってしまう現実世界において、それでもなお自我を超越した不合理に突入せんとする気概を、格式を持ってかっこよく表現した冷厳な言葉といえます。

 

実業家の執行草舟氏の新刊『人生のロゴス』にも登場し、氏の190の座右銘のうちの一つとして紹介されています。

執行草舟 著『人生のロゴス 私を創った言葉たち』

『人生のロゴス』

(私は執行氏のほかの著書からこの言葉を知りました。)

 

自分も一時期は合理的なことに越したことはないではないかと、そんなふうにいかにも合理的な風情で(?)脳で考えていたからこそ、そしてのちに打ち砕かれたからこそ、「不合理ゆえに我れ信ず」が痛切に沁みます。

 

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