実写映画『アラジン』(2019)を映画館で観てきた感想

『アラジン』(2019) 映画(映画館で観た)
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2019年6月中旬、映画館で『アラジン』(2019)の吹替版を観てきました。

ハリウッド実写版の本作。「リメイク」というより「アップデート」と言うほうが個人的に合ってると思います。そしてアップデートされた内容が個人的にしっくりきました。

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前日にアニメ版を観た→ジャスミン……

映画館に行った前日に、アニメ版『アラジン』(1992)をAmazonビデオで観賞しました。

アニメ版『アラジン』は小さい頃とかにきっと観てたと思うんですが、あまりはっきりとした記憶はなく、半ば新鮮な感覚での観賞となりました。

今、腰を据えて観てみて思ったのは、「あのジャスミンでは、現代のディズニープリンセスとして共感を得るのはきびしいだろう」ということ。

 

当時は当時で楽しめてたと思います。

個人的にはRPGの勇者とかが憧れる対象だったので、ディズニープリンセスには憧れなかったですが。(現代のディズニープリンセスならありかも)

時代が変わり、価値観が変わり。主体性があるヒロインが求められている傾向にあるかと思います。

 

アニメ版ジャスミンも、シンデレラや以前のプリンセスに比べれば「パートナーを自ら選ぶ」という点では新しいヒロイン像だったといわれています。

参考 『アラジン』のジャスミンに感じた、ディズニープリンセスの“真新しさ”と“既視感”。実写版とアニメ版を見比べ感じたこと | ハフポスト

それでもアニメ版ジャスミンの不自由感というか閉塞感というか、「国王の娘である自分が国王になる」という発想すら出なかったアニメ版。

実写版みたいに「女はキレイでいればいい。黙ってろ」すら言われなかったほどに「出る杭」にすらならずにクネクネしていた(ごめんよ、ジャスミン……)アニメ版。

2020年代を目前にひかえた今、いろいろ苦しい。

 

「国民を誰よりも想っているし勉強もしていて有能なのに女性だから国王になれません」は、今の自分の価値観からすれば「?」でしかないですが……

でも「これはこういうものだ」というカッチリした価値観の中で生きていれば、それこそが正しい道理だと信じて疑わなくなる……みたいなのはわかります。

わかりますが、であれば結局「その時代の考え方」の問題でしかないので、これからの時代は「思い込みや因習によって能力や資質などを封印する愚かさ」みたいなのがもっと表立つ価値観になったほうが生きやすいのではないかなと。

そして多くの人が封印から解放されていろいろチャレンジしたりしやすい価値観になればいいと心から思います。

歌詞「見せてあげよう」の変更について

価値観がアップデートされている中、劇中歌の「見せてあげよう」(ホール・ニュー・ワールド)の歌詞も変わっていました。

「連れていくよ」になってました。

 

結果的にこれは、日本語版アラジンの声を担当した中村倫也さんの雰囲気は「連れていくよ」のほうが合っててよかったと思います。

「見せてあげよう」が成立する条件

まず、「見せてあげよう」という文字だけ見たときに、多くの人はときめかないどころか「え?上から目線?」と引いてしまうと思うのですが、どうでしょう?

文字だけの印象であり、誰が言うのか、どういった声で・表情で・状況で・立場で言うのかによって、受け取り方は変わってきますが。

 

そういえば、ツイッターでこのような意見を目にしました。

「見せてあげよう」の歌詞のほうがよかった。なぜならアラジンはジーニーのちからや魔法のじゅうたんによって万能感を得て調子に乗って「見せてあげよう」が出たのであるし、プリンセスにさえ生意気な口をきくのがよかったのだ。
……というような内容でした。

 

これにはなるほどと思わされました。

たしかに「調子に乗ってる」感じがわかりやすく伝わってくれば「しょうがないな」と子供を見るような「母性的な目」になって、なんだかいい雰囲気が発生するかも。

それこそ元々の日本語版アラジンの声を担当している羽賀研二さんであれば、いい雰囲気に転がるのかなと。

私が先日観たアニメ版アラジンの声(羽賀さんの後役・三木眞一郎さんの声)は、優等生感みたいなのがにじんでいて、「調子に乗る」という要素がほとんど感じられなかったのかもしれません。

羽賀研二さんは「優等生」という感じではなく、人たらし的な天性の「チャラさ」が感じられて、調子に乗ってもその軽さが魅力につながる感じがある。

これはもう羽賀研二さんのキャラクターを知っているというのが込みでの話になりますが。

 

上から目線にされた相手も「しょうがないなあε- (´ー`*) フッ」と上から見るような、結局は「同等」な目線のもとで成立してるものなのかなと。

上から目線に物を教えられるのが「ステキ」ということではないので、男女限らずここを誤って羽賀さんみたいなキャラじゃないのに「教えてあげよう」となってしまうとシラけた雰囲気になるかと思います。

 

そこいくと、今回の実写版『アラジン』の日本語版の声を担当している中村倫也さんは、優しさや穏やかさも感じる声かと思います。チャラいよりも優等生感のような賢さみたいなのがあるような。

なので「見せてあげよう」ではなく「連れていくよ」でよかったと個人的には思います。

相手と一緒に新しい世界を見にいくような、そういう肩を並べる同志的な感じが一番“アラジンcv.中村倫也さん”の魅力を自然に引き出すのではないかと、ディズニーの日本語版の関係者が思ったのかもしれません ね。

 

「肩を並べる」価値観

こう考えてみれば、実写版『アラジン』のアップデートには、「肩を並べる」が一つのテーマとしてあるように感じます。

「肩を並べる」は、上下のプラスマイナス的な考え方ではなく、掛け算的な考え方につながって良いと思います。

リソースを相手と奪い合うのではなく、リソースを相乗効果で何倍にも大きなものにしていくのが、いい人間関係なんだろうなと思います。

「男だからこれをしてはいけない」「女だからこれをしてはいけない」ではなく、男女ともにできる範囲が拡大すればそれだけいろいろ豊かになるのではないかなと。

 

「肩を並べる」ことをおそれずに、前に進もうとするヒロインもヒーローも、かっこよくて共感します。

 

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