50周年記念上映『2001年宇宙の旅』IMAX版を観てきました

2001年宇宙の旅 映画(映画館で観た)
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『2001年宇宙の旅』をIMAXで観てきました。

 

1968年の映画ということで、2018年の今年は公開50年目にあたります。50周年を記念し、一部の映画館にてIMAX版が上映されることとなりました。

 

これは観るっきゃない!と映画館へGO。私は『2001年宇宙の旅』は初見ではなかったですが、劇場で観るのは初めてのことでした。

初めて観たときの感想ブログはこちら↓

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長いオープニング曲(スクリーンには何も映らない)が流れた後、本編が始まったときにはゾクゾクしました。映画館でこの作品が観られるんだという喜び。

 

ちなみに本編のラストの瞬間にもゾクゾクしました。やっぱり凄い映画だなという意味でのゾクゾク。

 

ゾクゾクで始まりゾクゾクで終わる。いい体験をさせてくれる作品だ。

 

 

『2001年宇宙の旅』はいくつかのパートに分かれています。その時間の流れ、数百万年。人類史とその進化について見ているようでもあります。

 

第一部は原始時代。類人猿がウホウホ言って、ようやく動物の死骸の骨を殴る道具として使えるようになった頃の話。

 

その次のパートは、西暦2000年前後の「現代」。言葉も科学もかなり進化しています。ヒトは言葉を巧みに操り、難しい問題を議論し、高度な技術を生み出し、宇宙船には人工知能を搭載したコンピュータまで同乗するという……現代を生きる私たちにとっては馴染み深い文化ですが、原始時代を基点にして見てみれば、やはり人類はすごく進化を遂げたなあと、しみじみ。

 

しかしAIコンピューターのハルを切って、船長が一人で宇宙を旅するパートでは、さらにその先の進化を見るような、あるいは進化も退化もなくゼロに戻ったような、現代の地球の文明を超越する世界が広がります。言葉はなく、静寂が訪れ、深淵なる宇宙に飲み込まれていくような感じ。宇宙空間にはきっかいな風景が流れ、どういう物理状態なのかわからない景色が現れる。そういうのを見るにつけ、言葉や哲学や科学・テクノロジーが存在すること自体がもはや原始的に思えてくる不思議。

 

何百万年後かには、人類はそんな世界観に住んでいるのでは、とも思います。いずれ人間は肉体を放棄するんじゃないかと考える人もいます。『2001年宇宙の旅』のラストにも出てきたスターチャイルドのような超越した存在になる未来だって否定できない。肉体を放棄し、コンピューターなどとドッキングして精神だけの存在になることもあるかもしれない。

 

人工知能コンピューターと会話をしながら宇宙を旅することだって、ウホウホと骨を道具にしていた時代からはとてもとても考えられないことだったわけだし。数百万年後の未来だって、現代ではとても考えられないようなことになっているでしょう。

 

宇宙のように、何の意味も持たずにただ「ある」というだけのシンプルな存在にいずれなっていくんじゃないかと私は思いますが。それもまた遥かな未来の話ですね。

と、こんなふうに考えるきっかけを与えてくれる『2001年宇宙の旅』。このような物語が50年前に作られたことに改めて凄いと思いました。

 

このような名作を、IMAXで観られて本当にいい機会でした。

IMAXの大音量はやっぱりよかったです。月面のモノリスの写真を撮ろうとした瞬間にピーとハウリングみたいなのが起きるシーンでは、耳をつんざくくらいに大きい音がしました。モノリスの強烈な磁力を疑似体験しているみたいだった。

 

『2001年宇宙の旅』では、木星に初めて人が着陸するミッションが課せられていました。50年前にこの物語を作った人たちは、2001年くらいには木星着陸もあり得ることだと予想していたのかもしれません。2018年の現在、いまだに人が着陸したことがあるのは地球以外では月だけ。50年前の人たちからすれば、意外に宇宙開発が発展してないんだなと思うことでしょうね。予想通りにいかないのも未来。ってことかなと。

 

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